社説:視点・参院選 憲法と人権=論説委員・小泉敬太

毎日新聞 2013年07月20日 02時30分

 ◇変えてはならないもの

 「水俣病患者は長い間、憲法が保障する基本的人権を侵害され続けてきた。それを放置する政権与党が憲法改正を言い出す資格があるのだろうか」。患者遺族側代理人の山口紀洋(としひろ)弁護士はそう疑問を投げかける。

 水俣病公式確認から57年。4月の最高裁判決は未認定だった患者を水俣病と認め、行政判断を覆した。被害者は数万とも数十万ともいわれながら、2900人余りしか患者と認めていない国の認定基準のあり方が問われたのだ。しかし、国は基準を維持する方針を変えず、運用の見直しも進まない。そして、被害者がどれだけいるかの実態調査はいまなお行われていない。

 憲法13条は国民の生命・自由・幸福追求の権利は国政で最大限尊重されると定め、25条は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を国民に保障する。水俣病の半世紀は、国民の権利が国によってないがしろにされる現実があることを映し出す。

 参院選で自民党は憲法改正を公約に掲げた。なかでも、憲法改正草案で示した「国民の権利及び義務」の章は、見過ごせない問題をはらんでいる。

 現行憲法では国民の権利が尊重されるのは「公共の福祉に反しない限り」との条件が付くが、改正草案はその条件を「公益及び公の秩序に反しない限り」と置き換えたのが特徴だ。「公共の福祉」とは一般に、他人に迷惑をかけるなど私人対私人の権利がぶつかった際に考慮すべき概念とされるが、草案は公権力によって人権が制約される場合があることを明確にしたのだ。

 一方で草案は、家族が助け合う義務、政府が緊急事態を宣言した際に指示に従う義務など、新しい義務を国民に課す。

 憲法で国家権力を制限し、国民の自由と人権を保障するという考え方が立憲主義だ。草案はこの理念を大きく逸脱する。それだけでなく権力側が国民を縛ろうとする狙いがあるのではないか。野党の多くが「時代錯誤」などと批判したのは当然だ。

 公明党は自民党のこうした考えには距離を置く一方で、現行憲法に環境権など新しい人権を加える「加憲」をアピールする。新たな人権規定の創設に反対するつもりはないが、現行憲法でも導き出すことが可能で、立法で十分との指摘もある。

 選挙戦で、憲法をめぐる論戦は残念ながら深まらなかった。しかし、とりわけ人権にかかわる問題は私たちの日常生活に直結する。現行憲法の理念は時代を超えても変えるべきではない。参院選後に本格化するであろう議論に向き合い、自らのこととして考えたい。

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